なぜ日本に死刑制度が存続するのか? (私見)
Yahooブログ(2018年9月)の再掲
キーワード: 脳メカニズム 未解明 他の臓器 差別される脳 怒り 報復 人間は自然の一部 自然災害 無期懲役 刑務所 拘置所 税金 人道 成仏
死刑は、多分、人類が集団生活を始めた当初から行なわれていた。 親族を殺した加害者に対する怒りの報復、集団の秩序にとって害となる者を排除。 理由は、感情もあれば、それなりの合理もある。
私は死刑反対。 理由は多くの人とは違う(冤罪死刑の防止を除く)。 残酷、野蛮、非人道、可愛そう・・・ではない。
人間は自然の一部。 殺人などの犯罪は人間が起こした出来事。 よって、それは自然災害。 加害者も自然の一部。 地震や台風のように、人間集団の中で一定の頻度で起こる。 仕方がない。 自然に対して怒らない。報復もしない、出来ない。 仮に肉親が殺人事件の被害者になっても、私は悲しむが、 恐らく、加害者を恨まないと思う。
もう一つの死刑反対の理由は次のような考え。 殺人は人間の脳内部の物理と化学の機構がどこかで故障した結果。 脳以外の臓器なら故障して他人に迷惑かけてもお咎めない。 たとえば、車の運転中に心臓発作が原因で死亡事故を起こしても殺人罪に問えない。
所詮、脳も心臓も胃も肺も物理と化学に支配されたシステム。 故障が脳という装置にあると法律の対応が違う。 脳にとって不公平である。
近代医学でも脳のメカニズムは最も未解明な分野。 喜怒哀楽、認知、思考、記憶など全ては 脳という臓器の活動の結果。 しかし、それらの仕組みの多くは分っていない。 古代ローマでハンセン病患者は罪人として扱われた。 ハンセン病の病理を知らなかったからだ。 未知のものは怖い、差別される。 脳も同じ。 だから脳が故障して他人を死亡させれば、 その持ち主は排除(死刑)される。 殺人罪に限らない。 犯罪とは脳のメカニズムに何らかの不具合が起こり、 普通の人とは違う行動をした結果。 刑務所や刑場ではなく病院が対応するべき事案。
とはいえ、上に書いたことは現実的ではない。 現に、日本やアメリカの多くの州では死刑が執行されている。 先進国なのに何故そうなるのか? その理由を、出来れば、理解したい。
「正義に反する者には容赦なく報復」は、アメリカ合衆国の国民性に見え隠れする。 また、「壊れたテレビは捨てる」はアメリカだけではない。
しかし、最大の理由は経済かもしれない。 死刑に代わる無期懲役は金がかかる。 刑務所も刑務官も足りなくなる。 刑務所生活は健康的、酒もタバコもなし。 規則正しい日常。 最近は、受刑者医療も近代化、整備されている。 みんな長生きする。 その分、税金の投入も増える。
これに対して、死刑はその執行の瞬間だけが刑。 あとは未決囚として拘置所暮らし。 生活は比較的自由。 食べ物の差し入れも自由。 早めに執行すれば税金が節約できる。 これが、日本やアメリカに於ける死刑制度存続の大きな理由の一つらしい。
私は別の理由を数年前から考えるようになった。 「死ねば誰でも仏様になる」という思いが日本にある。 「死刑は早く成仏させてあげたい」という優しさの表れなのかもしれない。 (この意味では、私は死刑制度の支持者なのかもしれない。 自分は揺れている。) キリスト教文化やイスラム圏には有り得ないと思う。 ・ただ、オウム麻原の殺人「ポア」と一緒にされては困る。 ・「怨」の民族といわれる韓国は、意外にも、事実上の死刑廃止。 キリスト教の影響だろうか?
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