真実が隠蔽された戦争末期の出来事(4)
死亡捕虜米兵の慰霊碑
鎌倉市、大船駅から清泉女学園に行く途中にあります。
近くには県立植物園や玉縄城跡があります。
戦時中、捕虜収容所がありました。日本軍の捕虜となった米兵が横須賀軍港からトラック
で運ばれてきた所です(収容所の管轄は陸軍)。 収容中に病死した米兵を供養するために
収容所が自主的に裏山に作った慰霊の場所です。
大船捕虜収容所は人道的でした。 虐待どころか、日米は極めて友好的な日々を送っていました。
しかし、戦後のBC級戦犯の裁判の結果、所長をはじめ幹部は死刑になりました。
当時の捕虜の法廷証言は、みんな、「食事は劣悪、医療はなし、殴るけるの虐待は毎日」というものでした。 真実を言って擁護すれば、「お前は、自分の身を守る為に日本軍に協力したのに違いない!」
とスパイ罪 または、合衆国反逆罪に問われてしまう、ということでした。
30年ほど前に、そのような元捕虜が奥さんと一緒に来日しました。処刑された収容所の元日本軍関係者の遺族を尋ね謝罪してお墓参りをしました。 新聞の神奈川版に報道されました。