9.11、現地体験の思い出
あれから20年、私は、大きな国際会議に出席のためボストンにいた。
(ちなみに、私は81年前の9月11日に生まれた。)
あの朝、同時多発テロの犯人たちはボストン発の複数の定期便をハイジャックしていた。
朝、ホテルの部屋を出ると、会議場入口前のロビーに数人がテレビを見上げて騒いでいた。
何事かと立ち止まると、飛行機がニューヨークの高層ビルに突っ込んだらしい。
煙がモクモクとあがる。 世界貿易センタービルに小型機が衝突という噂が流れた。
しばらくテレビ実況中継をみんなで見ていると、なんと、もう1機が飛来して同じビルに激突。
ただ事ではないと皆思い、既にプレゼンが始まっている会議場の中に走ってニュースを伝えた。
2機はボーイングの自爆目的の大型ジェット旅客機と判明、全米の空港が閉鎖された。
会議は中止、即、解散となった。
帰国どころか、身動きができない当方は妻とMIT近くの安宿に転がり込んだ。
空路の再開は未定、旅行会社のボストン支店に問い合わせても、支店に毎日直接足を運んでくれと言うばかり。
結局、1週間の足止めとなった。
テロリストはアラブ, 中東系と報じられ、オサマ・ビンラディンの名前も取り沙汰されていた。
ボストンの街中は異様。警察はアラブと見られる市民は誰でも拘束、連行していた。
暴行も目撃した。 その一方、イスラム系の一団が「私たちもアメリカ人です!」と叫びながら抗議デモを行っていた。
足止め期間中、MIT時代の多くの旧友に再会できたのは良かった。
それでも暇なので、ボストン近郊のセーラムを訪問することにした。
そこには、「魔女博物館」があり興味を持っていた。
博物館の帰りの出口に、次のような看板があった。
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我が国が犯した誤り。
・魔女裁判
・マッカーシーの赤狩り
・日系アメリカ国民の財産没収と強制収容所。
(もう一つあったが忘れた)
これらとは別に、急遽作られたと思われる立て看板があった。
そこには次が記されていた。
「アラブ系の市民に偏見、心しなければならない。合衆国の歴史に汚点をまた一つ増すことはあってはならない」
印象的だった。 あの看板、今はどうなっているのだろうか?
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やっと、シカゴ経由の帰国便が予約できた。
シカゴのホテルで当時の大統領ブッシュが議会で行った特別テレビ演説を見た。
今後のテロとの戦いでアメリカと世界を守ると誓った。
同盟国や友好国に向けて, Show your flag ! 叫んだ。
今も度々引き合いに出される有名な言葉となった。
議員たち全員がスタンディング・オベーション。
大統領支持率は殆ど100%だったと思う。
全米が愛国主義に染まっていた。
印象てきだった。